往生際のわるい女/向田邦子『手袋をさがす』

向田邦子というと、教科書に出てくる『父の詫び状』が超有名であって、私は学生の頃、この短編エッセイにどうも馴染めなかった。昭和の頑固オヤジに尽くす妻と娘たち、というような構図も理解し難かったし、教科書の解説が「古く温かい日本の家族の形」というような讃え方をしているようで、正直なところピンと来なかった記憶がある。
その後、数年前に『ごはん』を読んで、これは大変に素晴らしい短編だなあと思ってから、向田邦子を熱心に読むようになったのだった。向田邦子というと「昭和」「保守」というイメージがあったのだけれど(本当に教科書『父の詫び状』問題の弊害だと思う)、これは全く間違っていたことも知った。生活の細部にわたる観察眼・批評眼が見事であり、その眼は、女が生きるということをしっかりと暴く。それは、私から見ると、とてもフェミニズム的な文章に感じるのだった。
平易な文章で飾りがないのに、人間の哀しさをこれでもかと描き、その言葉の平凡さと、描く内容の複雑さの落差が素晴らしく、短い文章のなかに無駄なく凝縮されている。読むたび読むたび、神業のような短編だなあと思えるし、何よりささやかな発見がある。
 
さて、『手袋をさがす』である。このエッセイは、要約してみるとなんてことない話で、向田邦子が22歳の冬、ひとつの決意をしたという話だった。気に入った手袋が見つからなくて、気に入らないものをはめるくらいなら手袋なしの方が良い、と意固地に極寒の冬を過ごしていたところ、会社の先輩から「君の問題は、手袋のことだけではないのかもしれないね」と言われる。どうしても妥協ができないというのは、女の人生にとって良くないのではないか、と。男ならいいけど、女はやはり、ほどほどで妥協するということを覚え、ほどほどの良い男と結婚するなどしないと、「女の幸せ」を取り逃してしまうから。
この時代の「女の幸せ」が今に通ずるものなのか、という部分はとりあえず置いておいて、まったく女の子が大人になるというのは、色々なことを折り畳んでいくことだ、というイメージが私にはある。もちろん、自分の無限の可能性、何にでもなれる気がするという子供っぽいイメージは、成長過程で誰でも捨てるものだと思うのだけれど、そういう無限の可能性みたいな夢想とは別に、女の子たちは「もっと高いものを、もっと良いものを」という野心もしくは高のぞみのようなものを、大人になるにつれて少しずつ捨てていく気がする。自分を折り畳んで、形が世間の何かに合うように、ぴったりさせていくような感覚。そしていつまでも「もっと、もっと」と言っている往生際の悪い女は、ひどく子供っぽくて、ダサく見える。
私がそれを感じたのは、大学受験のときだった。中学受験のとき、私はそれなりに成績がよく、偏差値という面で男子生徒たちと互角に渡り合っていたのだけれど、大学受験の頃になると自分も周囲もすっかり「なんだかもう、そんなに頑張らなくてもいいよね」という気分になっていたのだった。すごく頭の良い女って、なんの意味があるのだろう…という雰囲気が漂っていた。今の自分から死ぬ気で努力して高みを目指すわけではなく、そこそこの努力をして、あまり恥ずかしくないくらいの成績になろう、という何とも貧しい発想から、残念な受験生生活を送っていた。通っていた女子校で、私と比較して極めて偏差値の高いだろう女の子たちが、続々と受験戦争から降りていった。戦い続けるのは、高すぎるプライドやプレッシャーを抱えているか、天然(天才)か、どちらかの人たちだった。中学受験の時に同偏差値くらいだった男子校と、進学先の大学の偏差値はそれなりに差ができているんだろうな…という体感があり、それがひどく不思議だった。
就活の時にも同様のことを思った。男の子たちが屈託なく、真っ直ぐと自分が主人公として続いていく自分の人生を想像しているのと違い、女の子たちは口を開けば「結婚することを考えると全国転勤は…」とか「子育てが…」とか「実家が…」とか、まだ自分の人生に降りかかっていない何かのことを心配して、どんどん色々なものを調整しているようだった。妥協しているわけではないし、何かを諦めているわけでもない。それは、まさしく「調整」というような印象だった。見果てぬ夢を見るダサくて子どもっぽい自分は捨てて、大人になって現実問題に対処しようとすること。それは妥協ではない。しかしながら、女たちが何らかの(社会的な)達成の可能性を自発的に捨てていくように私には見えていて、それにいつも居心地の悪い思いをしていた。
 
自分の理想の手袋を求めて彷徨うことは、見果てぬ夢を見ることである。向田邦子は20代の頃に「自分は、気に入らない手袋ははめられない。そしてこの性格を今直すという生き方もあるが、この性格とトコトン付き合ってみよう」と決意したらしい。
 

私は四谷の裏通りを歩いていました。夕餉の匂いにまじって赤ちゃんの鳴き声、ラジオの音、そしてお風呂を落としたのでしょうか、妙に人恋しい湯垢の匂いがどぶから立ちのぼってきました。こういう暮らしのどこが、なにが不満なのだ。十人並みの容貌と才能なら、それにふさわしく、ほどほどのところにつとめ、相手をえらび、上を見る代りに下と前を見て歩き出せば、私にもきっとほどほどの幸せはくるに違いないと思いました。そうすることが、長女である私の結婚を待っている両親にも親孝行というものです。
しかし、結局のところ私は、このままゆこう。そう決めたのです。

 
この文章ではそこまでクリアな対立として書かれてはいなくて、そのあたりも絶妙な巧さだと思うのですが、ここで透けて見えるのは、「自分は何かを成し遂げたい」という気持ちと「自分の周囲の人が納得するようなほどほどの結婚(および生き方)をしたらそれは叶わない」という認識の葛藤である。なぜ、男は結婚しても人生の主人公であり、何かを成し遂げる可能性が開かれていように見えるのに、女は結婚すると、何かを成し遂げる主体にはなれないと思ってしまうのだろう。この問いは、「向田邦子が若かった頃の(つまり昔の)日本の話だ」とおもわれますが、グレダ・ガーウィグは最近でも『ストーリー・オブ・マイライフ』にこの問いを込めており、また受験や就活の時に感じた違和感から逆算するに、形を変えつつも、未だクリティカルな指摘であり、女にとって未解決の問題なのではないかと感じるのです。
向田邦子は「いっちょ、手袋を選べない自分と付き合っていこう」と決めて生きてみたという。世間相場から見て、自分の人生が幸福か不幸かというのは人それぞれだろうし、自分でもわからないのだけれど、あの時無理矢理「手袋をはめるぞ」と自分を反省して決意していたら、不平不満ばかりの生き方になっていたのではないか、と想像している。
 

でも、たったひとつ私の財産といえるのは、いまだに「手袋をさがしている」ということなのです。

 
この一文で、向田邦子が自分の生き方に、もちろん色々な欠けているところや足りないところはあれど、誇りを持っているということが見えてくる。要は、自分で選び、誇りを持つということなのだ。そう考えると、胸があつくなる。結婚か、仕事かの二項対立に見えてしまうし、正直向田邦子が生きた時代はそうであったのだろう。今生きている私たちは、そこまできっぱりとした二項対立を意識しているわけではないが、それでも何かに囚われている。自分は自分の人生の主人公であり続けられるのだろうかという不安に怯えている。人生の先輩が、背筋が伸びるような決断を20代のはじめにしたこと、そしてその責任を引き受けていることを読む。じんわりと、何度も励まされる。